思いつきメモ


事業仕分けの議論がああも乱暴、もしくは傲慢に聞こえるのは、
そもそも「コンセンサス」を得る必要がない、議論とは言えないものだったからではないだろうか。
だから仕分け人たちは、それぞれ言いたいことを放言して、官僚たちに厭味を言い、
最後の評議シートに、予算縮減、見直し、廃止と、書きたいことを書く。


この仕組みでは、かみ合う、建設的な議論なんて成立するはずがない。
圧倒的に優位に立つ仕分け人側に、議論を成立させる必要がないんだから。



ただ、今までの行政が、利害関係者間での利害調節、コンセンサスによって政策を決定してきたわけで、
そんな手法で、そもそも「改革」の「断行」なんてできるわけなかった。
小泉首相は、これを国民の支持一点で強引に突破し、コンセンサスを全て無視し、
官僚、利害関係者、そしてその支持を受ける議員たち、皆を「抵抗勢力」と切って捨てたけど、
利害調節に基づく官僚機構の政策決定過程においては、構造的に改革はできない。


そう考えると、事業仕分けはいいシステムであるように思えてくる。
「公開」であることが良いんではなく、「利害関係者に全く参加させない」ことが。


ただ、やっぱり今のままでは、予算を強引に切るマシーンでしかなくて、建設的じゃないと思う。
昨日のサンデープロジェクトで、予算を切るのが刷新会議、新しい方向性を決めるのが菅直人の戦略局、
こういう風に説明していたけど、それで良いんだろうか。


ただ現状が良いか悪いか、それを1時間足らず言い合うのではなく、
じゃあどうすべきか、どこを改善するのか、その結果、どの程度の予算規模が適切か、
そういう議論をしなければ意味がないはず。


前回の事業仕分けについてのエントリーでも書いたつもりだけど、
予算規模は、どんな政策を行うか、の後に来なければ、そもそもおかしいはずなんだ。



あれ、防備録がわりの3行エントリーのはずが、思いの外長くなってしまった。