思いつき考察


件のマクロスF 第05話を観ていて。


初代マクロスではリ・ミンメイの歌、、、というか、プロトカルチャーの歌が、
ゼントラーディ人の戦意を喪失させていたけど、
バジュラの生物兵器 (?) はランカの歌で暴れ出すんですよね。


それで思ったんだけど、Frontierでは文化の対立、
言い換えれば文明の対立が描かれるのではないだろうか?


初代のゼントラーディ人と人類はプロトカルチャーを共通祖先として持っていたけど
今度はそうではない、完全なる異文化を持つ生命体との戦いになるとか。


25年前は純粋に歌の力、文化の力を信じれたのかもしれないけど、
実際には文化を持つからこそ、異なる価値観を持つからこそ、戦いは生じるんでしょう?
ゼントラーディとメルトランディのように、最初から戦闘だけを目的としている存在なんてあり得ない。
戦争というのは手段であって、目的ではないのだから。


そういう視点から見ると、なぜ歌うのか、それは歌わずにはいられないから、
歌は「勝手に出てくるもの」なんですよね。
決して、戦争を止めるために存在している訳じゃない。


四半世紀前の初代マクロスで文化を大上段から語ったのに対して、
現代のマクロスFは、文化をもっとパーソナルな力として描くのではないだろうか。
ポスト・ポストモダンに生きる我々は大きな物語を見失い、個々の小さい世界の中で生きていく。。。


これ以上言うと無知がばれるのでもう止めますが、そんなテーマが描かれるとみた!
どーかなー?当たったら、誰か金一封でも下さい。