番組改編訴訟


久しぶりに政治・社会系の話題なんぞ。


番組改編 NHKに2百万円賠償命令 「政治家発言」認定


件の「女性国際戦犯法廷」とやらの正当性、公平性、中立性云々は横に置いておいて、
NHK自民党議員、当時官房長官の安部首相や中川現政調会長の圧力で、もしくはその意図を斟酌して、
番組内容を急遽変更したことは想像に難くない、まぁほぼ間違いなく事実だと思うんだ。


その上で、この点に関しても横に置いておきます。
なぜならば、それ自体は法律に抵触しないから。どうしてもというなら、強要罪とか脅迫罪とか?


で、だ。
期待権」って何よ。
取材された側は、その放送内容が期待に添うモノでないと、賠償請求できるって?
そのためには、報道機関の自由な編集権は制限されると。
んなバカな、だろう。それこそ諸々の「圧力」を認めるものだろうに。


たとえば仮にだ。
ある政治家を批判するようなドキュメンタリー番組を作るとして、その政治家を取材するためには、
あんたを批判するための番組ですよ、という「期待」を持たせるか(笑)、
もしくはそれを伏せた上で、違う「期待」を持たせて後から賠償請求されるか。ま、200万なんて安いもんだよね。


でも、そういうことと違うの?
もちろんコレは拡大解釈だけど、基本的に言ってること自体は変わらないでしょ?



もともとスクープにした朝日新聞は、まぁ当然のようにこの判決を手放しで評価してて、
一面にデカデカと載せて、NHK 裁かれた政治への弱さとして社説にも。

曰く
政治家の意向をおしはかって番組を変えるというのでは、自立したジャーナリズムとはとても言えない。


自立した編集は報道機関の生命線だ。政治家への抵抗力を持たなければ、公共放送もその使命を果たせない。


編集の自由や報道の自由は民主主義社会の基本だ。
取材される側の期待権の拡大解釈を避けるためにも、メディア側の権力からの自立が求められる。


そこで俺が疑問で仕方ないのが、
政治的圧力だから期待権が成立するのかということ。
政治的圧力と、取材される側の期待権は、関係なよね?よね?


今回の判決は、報道機関からみて、自由な編集権を制限しうる事項ができた、ってことでしょう?
朝日新聞さんがおっしゃるように、自立した編集は報道機関の生命線なんだからさ、
取材対象の「期待」を斟酌しなきゃいけないような編集には問題があるんじゃねーか?



背景に政治的問題、さらには歴史認識問題、従軍慰安婦問題が孕んでるから、単純な議論は成立しないんだろうけど、
だからこそ、議論を単純化して、一つ一つに白黒つける必要があるだろう。少なくとも司法はさ。


俺は「期待権」なるモノを認めるという、報道機関の自立性を制限する司法の見識を疑うし、
政治的圧力があったから、などと言い出すなら、問題に対する公平性を失ってる司法の見識に呆れますよ。
朝日新聞社にも政治的立場はあろうが、そういう言論をしてしまうようでは、
自立性だの、公平、中立だの、そういう文句を謳う報道機関として失格といわざるをえないと思います。



いや、司法もマスコミも、中立公正だとは、俺もはなっから思ってないけどさ。
それでもそういう立場にのっとっと言論をしなきゃダメじゃないかねぇ。