サー・能登擁護論


サー・ベティヴィエール(CV能登麻美子)が見たくて(聴きたくて)、アニメ版Fate最終話だけ見ました。


で、世間で散々に言われてる上に、原作者にまでPS2版で変えると言われたサー能登
確かに政治的圧力による起用の線は消せませんが、俺は、あれを演出意図によるものだと考えます。


アニメ版Fateは士郎とセイバーのボーイ・ミーツ・ガールだったわけですよ。
これは原作者が言ってるから間違いないわけで。
しかしながら、Fateの結末は2人の離別。セイバーの最期に立ち会うのはサー・ベティヴィエール。


俺が思うに、アーサー王の最期を立ち会うサーに、男性性を消したかったのではないかと。
いや、もう性別さえも超えた存在としてのサー・ペティヴィエール。
ここで能登麻美子、しかも男性声として起用することによって、サーが非常に現実感のないキャラに仕上がっているんですよ。
本来は俗人(いや、円卓の騎士だけどさ、只の人なわけで)であるサー・ペティヴィエールを、
アーサー王伝説という、俗世から隔てた世界の最期に1ページにはめ込むための、なかなか味のある演出だったのではないかと。




実際さ、サーの声が諏訪部順一だったりしてみろよ。
最期の最期でセイバー看取るひゃつに寝取られちまいそうじゃねぇか。